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末子(中世)


 室町期に見える地名。下総国大須賀保のうち。逢善寺(茨城県新利根村)所蔵「妙法蓮華経」の長享2年5月9日付奥書に「下総国大須賀保内末子権現堂」とある(県史料県外)。当地は,大須賀保地頭大須賀氏の拠った大須賀城(松子城)の所在地。大須賀氏は千葉介常胤の第4子胤信を祖とし,「千葉大系図」「大須賀家系図」には,胤信の子息通信の項に「大須賀保松子城」に住した旨が見えている(房総叢書)。現在,城跡は下総台地に入り込んだ浸食谷の低湿地にとり囲まれた標高30mの南北に長い台地上にあり,北から城の内・用害・後詰と並んでいる。室町後期には,大須賀氏は応永23年の上杉禅秀の乱に禅秀につき,永享12年の結城合戦に鎌倉公方足利持氏遺子に味方して敗れるなど,勢力に動揺をきたしていた。更に,康正元年に起こった千葉氏の内紛において,大須賀氏は東常縁とともに,千葉康胤を滅ぼしたが,康正3年,康胤子息の輔胤が千葉氏の家督を継ぎ,文明年間に本佐倉に築城すると,大須賀氏はこれと対抗するため,当時,拠点としていた助崎(現下総町名古屋)付近から当地に移居したという(城郭大系)。現在の城跡はこれ以後のものとみられる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7296664