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八幡町(近代)


 明治22年~昭和30年の市原郡の自治体名。八幡宿・五所金杉村・山木村の3宿村と君塚村飛地が合併して成立。八幡・五所・山木の3大字を編成。役場を八幡に設置。明治24年の戸数677・人口3,761,厩9,船143。同30年明志館を仮用して郡役所が置かれ,同31年新庁舎に移転,大正12年廃止。郡の行政・経済・交通の中心として繁栄し,明治24年には東京湾汽船の福沢丸が就航していた。明治35年の八幡尋常高等小学校の児童数607。明治31年川上規矩(南洞)が千葉県皇典研究所普通部を創立,同41年南総学校,昭和2年南総中学校と改称。明治34年郡立市原染織補習学校創立,同35年郡立市原染織学校と改称,同39年鶴舞町に移転(市原市史)。同45年国鉄木更津線(現内房線)開通,八幡宿駅設置。当町の宮吉長五郎は貝類・海苔の養殖に力を注ぎ,ことにカキの養殖については,明治24年県から講師を招き,八幡浦に試験場を設けた。大正元年の漁船数19・漁網35,鹹水産漁獲物は魚類361貫・貝類2万8,042貫(市原郡誌)。海苔養殖は明治末年より盛んとなり,大正3年種子場を含めて7万2,000坪(市原のあゆみ)。昭和20年代後半から農地拡張のための八幡浦干拓が行われた。昭和22年八幡中学校が八幡小学校に併設,同23年新築移転。昭和30年市原町の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7297425