安針町(近世〜近代)

江戸期~昭和7年の町名天正19年の埋立以前からの土地と推定され,高砂【たかさご】新道をはさんで南北に位置する町名は徳川家康の外交顧問だった三浦按針(ウィリアム・アダムス)の拝領屋敷があったことによる(求涼雑記)幕末の頃は名主鷲吉右衛門に由来する鷲【おおとり】長屋と呼ばれる長屋があった(画報)明治元年東京府に所属同5年の戸数51・人口265(府志料)同11年日本橋区に所属昭和7年,室町【むろまち】1丁目・本町【ほんちよう】1丁目に編入現行の日本橋室町1丁目・日本橋本町1丁目のうち

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7297751 |