金杉水道町(近世)

江戸期~明治2年の町名古くは金杉村の百姓地明暦2年町屋が許され,寛文12年より代官の一手支配となったが,元禄4年から町奉行・代官の両支配となる(備考)町内には坂通町・肴店【さかなだな】町・表町・稲荷前町の4つの俗称があった当町付近は古くは入江で,坂通町とは古くは安藤坂を猟師が網を干すため網干坂と称し,それが伝通院前の坂なので坂懸【さかがかり】町といったことによる肴店町と称するのは江戸期まで魚市がたっていたので名づけられた俚俗名表町は伝通院境内に樹木が多く日当りが悪く日陰町といったのに対し,表通りに面した部分をいつしか表町というようになったまた多福院付近をウグイスの鳴き声が素晴らしかったので鶯谷【うぐいすだに】といった明治2年一部が金富町の一部となり,残余は小石川水道町と改称現行の春日【かすが】1~2丁目・小石川3丁目のうち

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7298511 |




