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掃部宿(近世)


江戸期~明治2年の町名足立郡淵江【ふちのえ】領のうち日光街道千住宿内荒川沿いに北部に位置する由来は開発者の石出掃部亮による石出氏は千葉氏の一族で慶長3年に当地に来て開発をはじめたという(新編武蔵)元和年間に荒川の堤が完成するにしたがって日光街道沿いに家並ができはじめ,千住宿に対して掃部宿と呼ばれ,のちに千住宿に加宿された「田園簿」の村高は208石余,うち田165石余・畑42石余元禄年間には掃部新田とあって227石余(元禄郷帳)天保年間には掃部宿町とあって235石余(天保郷帳)以後幕末まであまり変化はない化政期の家数は309軒(新編武蔵)鎮守は石出氏が故地の遠江より持ち来たった本地仏観音をまつる氷川神社,同氏の開山と伝える浄土宗源長寺がある町の南の荒川に伊奈忠次が文禄3年に架橋した長さ66間・幅4間の大橋がある当地は川魚・米穀類などの問屋街で活気を呈したが,明治2年12月小菅【こすげ】県管下で千住宿中組となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7298765