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蛤町


「備考」には①永代寺門前仲町南裏通り,②深川大島【おおしま】町北続,③深川北川町続,④深川寺町裏続の4か所に記されている。①永代寺門前仲町南裏通りには慶安~天和年間までに百姓町屋が建設されたが,南方の川境を海苔干場と称した。風浪の災害が多かったため町屋の取り払いを命ぜられ,以後築き立てられ,大名の下屋敷などになった。当町内の西方には1丁目・2丁目の俗称があった。②深川大島町続の町屋は古くは内藤外記の所有地。宝暦12年に並木甚太夫が譲り受けてから町人の持ち地となった。当町を上2丁目,北側の堀を外記殿【げきどの】堀と俗称した。③深川北川町続の町屋は町人孫三郎が買い受け町並屋敷とした。当町を3丁目と俗称した。④深川寺町裏続の町屋は延宝3年小川新九郎が買い受け,享保11年次右衛門が譲り受け,同19年に町家建設が許可された。干鰯問屋が集住していたことから当町を江川場・干鰯場【ほしかば】と称した。ほかに三文字屋敷・寺裏・陽嶽寺前の俗称もあった。以上4つの町屋ともに町奉行・代官の両支配であった。化政期の4か所の合計家数は565軒(町方書上)。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7300960