井土ケ谷町(近代)

明治44年~昭和11年の町名。はじめ横浜市,昭和2年からは同市中区の町名。同10年一部を南太田町・永田町に編入,南太田町の一部を編入。同11年井土ケ谷上町・井土ケ谷中町・井土ケ谷下町となる。戸数・人口は,明治44年168・664,大正8年215・1,257,昭和2年末の世帯数2,074・人口7,275。繊維関連業が盛んで,昭和5年のメリヤス製造業の従事者は151人,市全体の28%を占めていた。また陶磁器の業者も多く,3代井上良斎は,大正3年当地に陶窯を移して良斎焼を始めた。大正から昭和にかけて井土ケ谷芸妓屋組合事務所があった。大正12年の関東大震災では町域の過半で,家屋が倒壊した。震災復興として,井土ケ谷通町線(市執行,幅22m)など街路が整備された。昭和5年湘南電気鉄道(京浜急行)黄金町~浦賀間が開通,井土ケ谷駅が設置された。同9年井土ケ谷小学校開校。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7302295 |




