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鹿島田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。橘樹郡のうち。寛永10年・元禄10年とも幕府領,幕末には江戸増上寺領・浄蓮寺領。寛永2年10月23日の榊原左衛門への知行宛行状には「橘樹郡鹿嶋田村五百石」と見える(記録御用所)。村高は,「田園簿」では500石うち田390石余・畑95石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」では508石,「旧高旧領」では524石余うち増上寺領516石余・浄蓮寺領8石。助郷は元禄7年から大助郷を勤め川崎宿に出役したが,増上寺領に編入後は免除。寛永6年将軍徳川家光が稲毛領に鷹狩に来るため,荏原【えばら】郡と橘樹郡中丸子村との間に仮橋を架けることとなり,当村も経費を出し勤労奉仕をした(志村家文書)。「新編武蔵」によれば,江戸から4里半,東西9町・南北15,6町,家数57軒,鎮守は鎌倉期創建と伝える鹿島社,そのほか末社第六天社・稲荷社がある。鹿島社の例祭日は10月9日。寺院には日蓮宗浄蓮寺があり,開基は榎本宗本。同寺は慶安2年幕府より8石の朱印を賜った。用水は二ケ領用水の川崎用水を用いる。土地はおおむね平坦だが多摩川や矢上川のたび重なる氾濫のため,中に砂利や石が混在し,湿田も多かった。江戸末期,榎本幸右衛門が近隣の子女30名ほどを集めて寺子屋を開設していたが,のちに浄蓮寺に移る。明治7年常教学舎として発足,同8年鹿島田学校と改称,同11年鹿島田・北加瀬・苅宿村の3村組合による尋常鹿島田学校設立。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。同22年日吉村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7302790