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芹沢村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。相模国高座郡のうち。寛永10年幕府領と旗本小沢氏知行,元禄10年・幕末ともに旗本小沢氏・戸田氏知行。村高は,「元禄郷帳」750石余,「天保郷帳」761石余,「旧高旧領」758石余うち戸田氏知行497石余・小沢氏知行261石余。検地は文禄3年。寛永15年11月7日の戸田貞吉への知行宛行状には「一,四百九拾七石五合 相州東郡 芹沢村 内三拾壱石四升九合 新田」と見える(記録御用所/県史資8上)。「新編相模」によれば,江戸から15里,東西22町・南北13町,家数100軒,飛地3石が香川村にある。また鎮守は腰掛明神社,ほかに神明社・山王社がある。寺院は日蓮宗長重山法円寺・同宗弁財山蓮妙寺・浄土宗芹沢山来迎寺・曹洞宗恵日山善谷寺,ほかに来迎寺の寮として光照山普門寺と同じく地蔵堂ともいう延命寺がある。文禄3年検地によると,屋敷地名請人65人,総坪数9,674坪うち300坪以上3人・200坪台11人・100坪台24人・100坪未満50坪以上23人。また知行主の屋敷地は3筆720坪(茅ケ崎市史4)。17世紀中頃の村絵図によると,家数は戸田氏知行36軒・小沢氏知行19軒。安政2年の家数118軒,人口643人,馬16疋,うち戸田氏知行79軒,428人,馬11疋,小沢氏知行39軒,215人,馬5疋(同前1)。年貢は,享保3年の小沢領の例では,高257石3斗8合のうち田140石4斗4升8合から検見引され76石9斗2升3合余を割り付けられている(安藤文書)。助郷は,文政3年当時藤沢宿の加助郷をつとめている(茅ケ崎市史1)。南・南西境の堤・行谷村方向が丘陵の高地でそこから北西辺の平地である小出川沿いの岡田・打戻村方向へ数条のヤトが延びている。小出川沿いに水田が集中しているが,多くは天水利用であった。寺子屋は嘉永4年没の三堀元昌と善谷寺住職が幕末に開いていたと推定される(茅ケ崎市史研究6)。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。同19年の人口589,明治18年創立の芹沢学校の生徒数32・教員数1(茅ケ崎市史2)。同22年小出村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7303940