沼部郷(中世)

南北朝期~戦国期に見える郷名。大住郡糟屋荘のうち。沼目とも書く。真福寺所蔵大般若経奥書に「相模国東郡糟屋庄沼部」と見え,貞治3年11月14日に久弐が,当地の祇園宮に大般若経を書写施入したことがわかる(相文1)。応永10年の八坂神社鐘銘にも,沙弥道珍が梵鐘を「沼部郷内祇園宮」に寄進した旨が記されている(日本古鐘銘集成)。また長禄2年8月日の板倉頼資禁制によれば「相州糟屋庄沼部郷内稲荷田」が,鎌倉建長寺西来庵領として,乱暴狼藉を禁じられている(西来庵文書/県史資3下-6264)。戦国期の「役帳」には,小田原北条氏の松山衆の垪和又太郎の所領役高として「三百卅弐貫三百廿七文 中部 沼部郷」と見える。さらに天正3年12月10日の北条家朱印状には「相州沼目郷」と見え,当郷内の真福寺が金剛頂寺の末寺であったことが知られる(金剛頂寺文書/県史資3下-8316)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7304608 |