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早川村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。相模国高座【こうざ】郡のうち。寛永10年旗本石川氏・太田氏・加々爪氏知行,元禄10年幕府領と旗本太田氏・加々爪氏知行,幕末には旗本松平氏・太田氏・加々爪氏知行。村高は,「元禄郷帳」675石余,「天保郷帳」747石余,「旧高旧領」744石余うち松平氏知行502石余・太田氏知行118石余・加々爪氏知行105石余・五社大神領10石余・長泉寺領7石余。天正19年5月3日の石川四郎三郎春久への知行宛行状に東郡早川郷200石,寛永2年12月11日の石川八太夫への知行宛行状に高座郡早川郷200石と見える(記録御用所)。「新編相模」によると,江戸から12里余,東西20町・南北20町,家数150軒,地内を中原往還が通る。また鎮守は五社明神社,ほかに江川天神社・弁天社がある。寺院は曹洞宗崇福山長泉寺・曹洞宗一沢山竜洞院,修験に来宝院・持正院,ほかに十王堂と塚がある。長泉寺は慶安2年寺領10石の朱印状をうけた。深谷寄場組合に属し,組合村明細帳によれば天保14年頃の家数は63軒。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。「武甲相州回歴日誌」には,「昨夜ノ風雨野水俄ニ漲リ,早川村ノ人家十余戸押流シ六人漂散シ三人溺死ス……此村ノ景況養蚕多シト察セラレタリ」とある。同18年の戸数121(綾瀬村風土記)。同22年綾瀬村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7304740