100辞書・辞典一括検索

JLogos

46

諸磯村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。相模国三浦郡のうち。寛永10年・元禄10年・幕末ともに幕府領。村高は,「元禄郷帳」172石余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも176石余。なお宝永4年から文化8年まで一部を旗本大津氏が知行し,「三浦古尋録」による文化年間の高は幕府領46石余・旗本大津氏知行96石余。検地は文禄3年長谷川長綱が実施。「豆相海浜浦々図」によれば,湊内に油壺と呼ばれる入江があることから油壺の湊とも呼ばれるとあり,船数は漁船5,船役・網役は永1貫957文,湊の広さは湊口1町半余・奥行4町半余,深さは2丈,廻船200艘ほど停泊できるとある(県立図書館所蔵/三浦古文化3)。なお嘉永3年には,船数は小漁船4,1艘に付68文余で船役永275文4分(江川文庫所蔵/県史資9)。「三浦古尋録」による化政期の家数70軒。「新編相模」によれば,正保の改には諸石とあるといい,江戸から18里,海上でも18里,東西20町・南北8町,東境を三浦往還が走り,家数96軒,鎮守は神明社,寺院は浄土宗光宝院。村内小名白須はかつて三浦道寸が番所を置いた地と伝えるが,一説には刑場ともいう。ほかに道寸が物見をしたと伝える物見塚,新井城在城頃に時の鐘を置いた鐘撞坊跡がある。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。「皇国地誌」によれば,税地は77町6反余うち田9町5反余・畑33町3反余・宅地4町9反余・山林26町5反余,明治9年の戸数117・人口601・馬50・漁舟30とあり,港については「港内ハ海舶ヲ泊スニ堪エタリト雖港口暗礁ノ為ニ碍ラルゝヲ以テ一ケ年出入船数僅ニ二三十艘ニ過キス」と見える(残稿)。明治22年三崎町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7305321