100辞書・辞典一括検索

JLogos

37

魚沼郡


郡内の村数と総石高は,「正保国絵図」6万107石余,「元禄郷帳」580村・8万827石余,「天保郷帳」409村・10万305石余,「旧高旧領」421村・10万2,341石余。慶長3年上杉氏に代わって頸城郡春日山に堀氏が入封して越後一国を支配し,その後福島藩を経て,松平忠輝の高田藩領時代までは越後一国支配なので,当郡も同一の領主変遷をたどったが,堀氏の一門である堀直竒が当郡の坂戸城主として2万石を与えられて郡内の一部を知行していたこともあった。元和2年忠輝の改易後も当郡は高田藩領となり,同5年から同7~8年頃までの間一時期福島正則領(信濃川中島藩)が一部(2万5,000石)に置かれたこともあるが,その後は高田藩領に復帰した。「寛文朱印留」による郡内の藩領は高田藩領のみで,233村・5万9,769石余を領有していた。しかし,天和元年高田藩主松平光長が改易されると,全郡が幕府領となり,高田城番などの支配をうけた。天和検地に基づく「天和高帳」によれば,高田藩遺領は650村・7万8,734石余で,これらの村々は小千谷組40村・1万79石余,川口組37村・6,344石余,小出島組50村・6,095石余,堀之内組97村・5,777石余,浦佐組58村・8,439石余,六日町組84村・1万443石余,妻有組198村・1万6,459石余,塩沢組82村・1万5,100石余に組分けされている。享保9年幕府領は城番・代官所支配から陸奥会津藩預地となり,寛保2年川西地区の20か村が陸奥白河藩領に編入され,また同3年には広瀬郷を中心に24村・2,853石余が糸魚川【いといがわ】藩領となった。白河藩領分は宝暦5年再び幕府領となる。以後は多くの村々は幕府領会津藩預地と糸魚川藩領のまま幕府に至るが,会津藩預地の一部が幕府代官所支配になることもあり,また幕末には会津藩領・伊勢桑名藩領も設けられた。「新編会津」によれば,文化初年頃の当郡の会津藩預地は7組に大別され,小千谷組38村・十日町組19村・塩沢組58村・六日町組66村・浦佐組54村・小出島組39村・堀内組29村からなる。「旧高旧領」に見える明治初年の当郡の所領構成は,清崎藩(糸魚川藩が改称)領27村・3,143石余(北魚沼郡),会津藩領157村・2万4,579石余,伊勢桑名藩領22村・4,087石余(中魚沼郡),幕府領会津藩預所79村・2万3,563石余(北魚沼郡36村・1万2,257石余,南魚沼郡35村・8,181石余,中魚沼郡8村・3,124石余),幕府領桑名藩預所20村・3,154石余(北魚沼郡14村・1,701石余,南魚沼郡6村・1,453石余),幕府領脇野町代官所支配11村・3,165石余(南魚沼郡),幕府領出雲崎代官所支配106村・3万9,193石余(北魚沼郡4村・1,236石余,南魚沼郡54村・1万4,330石余,中魚沼郡48村・2万3,626石余),除地1,148石余(北魚沼郡368石余,南魚沼郡515石余,中魚沼郡264石余),寺社領303石余(北魚沼郡62石余,南魚沼郡206石余,中魚沼郡34石)とある(県史研究15)。明治4年柏崎県を経て,同6年新潟県に所属。同10年の「全国農産表」によれば,主な普通農産物の作付面積は米1万5,444町,大豆2,982町余,粟1,800町,稗1,455町,蕎麦1,392町余など,農業生産額の比率は米78%,繭9%,大豆4%,粟2%,蕎麦2%,その他5%(県史通史編6)。同12年郡区町村編制法施行に伴い北魚沼郡・中魚沼郡・南魚沼郡の3郡に分かれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7306706