百々村(近世)

江戸期~明治12年の村名頸城【くびき】郡のうち飯田川右岸地名は,川の激しい流れの音からつけられたといわれているはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「慶長国絵図」では「たうたう村」331石余,「正保国絵図」190石余,「天和高帳」419石余,「天保郷帳」424石余郷蔵があり,文政5年蔵米点検書上控によれば,米141俵を収蔵していた神社は日枝神社寺院は黄檗宗醍醐寺明治12年下百々村と改称,あわせて中頸城郡に所属

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7312626 |