安養坊(近代)

明治22年~現在の大字名。大字安養坊村とも称した。はじめ桜谷村,大正9年から富山市の大字。米の生産以外に,明治40年頃から呉羽丘陵東斜面では,梅・スモモ・柿・桃などの果樹栽培が盛んになった。明治11年の明治天皇北陸巡幸の折に,呉羽山の一角を削りとり,峠茶屋へ通じる新道が開かれ,北陸街道の峠越えの難所はなくなった。同42年に富山新大橋が完成,大正4年に富山市は呉羽山の公園化を決定,同5年市内軌道呉羽線を敷設し,富山市と神通川左岸地区とを結んだ。昭和7年からの新国道(旧国道8号)の建設は,呉羽山をこの地で深く切り割る大規模なもので,広く傾斜の少ない道になった。同9年には飛越線が通った。戦後は富山市の住宅地として水田の宅地化が進み,近年その傾向が著しい。大正7年の戸数は20戸(婦負郡統計書)であるが,昭和30年には110戸・483人(富山市勢要覧),同42年には138戸・537人(富山市統計書)となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7317077 |




