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大泉村(近世)


 江戸期~明治24年の村名。新川【にいかわ】郡太田保のうち。富山藩領。正保4年の村高650石余,うち田633石余・畑17石余(高付帳/県史近世下)。元禄11年の村高650石余(高辻帳/県史近世下)。「天保郷帳」では村高728石余。文化2年の免5.3,家数31・人口131(高堂文書)。慶応4年の家数49・人口167(郡方人別書上帳/県史近世下)。常願寺川の支流である鼬川はたびたび出水し,安政5年の史上有名な大地震による洪水は,大泉のみならず鼬川流域を泥海と化し,死者3,027人と記されている(蜷川【にながわ】の郷土史)。慶安4年には大泉川原に火葬場が設けられ,ここで,元禄3年に米留騒動の科により罪人を磔刑にした記録がある(前田文書)。村内を上滝【かみだき】街道が通じており,昔から霊山立山への登山道として足音の絶えることがなかった。江戸期中頃から全国に立山信仰がひろまり,白装束の参詣者たちや,見送り・出迎えの人々でにぎわった。天保11年の道標がのこり,「右立山道・左本郷湯道」と刻まれ,施主は尾州名古屋の杉屋佐助となっている。鎮守の大泉神社は,もと八幡社で,神明社と天満社を合祀,他に水神社がある。真宗東派円命寺,臨済宗国泰寺派国泰寺,曹洞宗高源院がある。明治6年たいりゅう小学校が設置。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年一部が上新川郡堀川村の大字となり,残余は同24年富山市大泉町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7317644