江曽村(近世)

江戸期~明治22年の村名。鹿島郡のうち。加賀藩領。天正14年の検地高17町4反余(江曽区有文書)。寛文10年村御印の村高393石・免5ツ2歩,山役375匁・苦竹役15匁・鳥役4匁。天明6年の家数68・人口348。産物はタバコ・菜種・大麦・大豆などのほか布16反・木綿17反・苧絈750を産出。嘉永5年の渡世は木挽き23,大工・桶師とも2,室屋・紺屋・医師それぞれ1。文化年間以後産物として江曽アテが北前船の帆柱用材に適するというので知られた。天保年間の戸数82・人口445,馬21(七尾市史)。神社は能登国三十三か所順礼5番札所の練ケ谷内【ねりがやち】観音。文化年間に三島・天守社を合併。明治19年に諏訪社を合併し,白山神社となる。寺院は真宗大谷派妙楽寺。明治5年石川県に所属。同22年徳田村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7323529 |




