大浦村(近世)

江戸期~明治22年の村名。河北郡のうち。加賀藩領。寛文10年村御印の村高1,556石,免6ツ6歩,山役175匁・草野役14匁・蝋役1匁。同年の家高20軒・百姓数37人(加州三郡高免付御給人帳)。なお寛永17年11月11日付の「寛永十二年同十三年分河北郡大浦村隠田分年貢未払代銀指上事」による隠田年貢は,銀子985匁余・金子9枚6両余(大浦公民館所蔵文書)。天正15年小浜神社(黒津舟神社)境内末社を当村に移し「梅宮」と称したが,明治12年豊栄神社と改称。真宗大谷派上衍寺は,はじめ真言宗で大乗坊と称したが,文明3年蓮如に帰依したと伝えられ,明治12年に寺号が許可された。文化・文政のころ同寺の住職智治宗順は儒学によく通じ村人を教育したという。また真宗大谷派安居寺は元禄9年敬栄が創建し,天明年中金沢田丸町(現本町2丁目)専光寺所属の道場となり寺号を廃したが,明治12年再び寺号を許可された。天保年間に当村に生まれた本城伊右衛門は測量の術に長じ近郷はもちろん越中に至るまでその技量を発揮し,梅野三之丞は算数の術に長じたという(河北郡誌)。明治5年石川県に所属。明治9年大浦小学校開設。明治17年戸長役場設置。明治22年河崎村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7323594 |




