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符津村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。加賀国能美【のみ】郡のうち。加賀藩領。寛文10年村御印の村高628石,免5ツ2歩。茅野役75匁・野役14匁・湖役57匁・地子銀304匁5分・板舟櫂役50匁・敷借利足7石1斗。寛政4年のころには家数72(うち百姓60,頭振10)・人口308,馬5頭。潟縁を利用しての新開への努力が続けられ,享保8年大島開6,600歩・古川開300歩,文化年間には宝達開4町歩を開発。特に宝達開は,金平十村石黒智長が宝達金山の鉱夫を使い自費で潟縁の埋立てを行い4町歩を得たもの。北佃とか前佃ともいっている。3月17日は埋立完成を祝う宝達祭といって休業にした。文化2年島村・下粟津村との間で地境争論が起こった。30年後の天保6年今江村十村や日末村十村が仲裁に入り,争論の解決をみた。安政元年,高畠又右衛門は金沢より礪波屋嘉平を招き,ほいろ茶の製法を弟の又三郎や又助に習わせたので,以後製茶業が盛んになった(小松市史)。明治5年石川県に所属。「皇国地誌」によれば,田48町余・畑47町余,戸数85・人口399。荷船3。神社は符津白山神社。寺院では真宗大谷派通願寺がある。物産のうち蕃薯・西瓜・南瓜・菜種・製茶1万斤・繭1,900斤・生糸190斤・真綿2貫400などを小松町へ出荷。桑葉1万貫目は諸村へ出荷。農業66戸(うち兼業は養蚕業50戸・製茶業6戸など)。明治8年通願寺を借用して符津小学校を設立。明治9年の生徒数男子55。明治22年木津村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7327648