麻生野(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ鳥羽村,昭和29年からは上中町の大字。明治24年の幅員は東西2町余・南北2町余,戸数51,人口は男105・女117,学校1。世帯数・人口は,大正9年50・238,昭和10年47・215,同30年48・240。明治32年鳥羽尋常小学校が三田に設立されると,時雍小学校は同校麻生野分教場となる。大正5年には田自作地19町2反余・小作地5町2反余の合計24町5反余,畑自作地13町3反余・小作地9反余の合計14町3反余,山林72町2反余。大正4年の米の作付反別23町8反・収穫高375石,麦の作付反別7町8反・収穫高73石。同5年の養蚕は飼養戸数40・収繭高90石。大正3年麻生野養蚕組合(組合員32)が設立された(鳥羽村誌)。昭和11年組合員39人で麻生野負債整理組合が設立された。戦没者は,西南戦争1。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7329048 |




