鮎川浦(近世)

江戸期~明治22年の浦名。越前国丹生郡のうち。はじめ福井藩領,貞享3年幕府領,文政3年からは再び福井藩領。高は,「正保郷帳」で田方120石余・畑方25石の計145石余,「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」とも145石余,「旧高旧領」では清水谷浦を分離し139石余。清水谷浦は当浦内にあり,年未詳ながら,清水谷浦を含んだ江戸期の戸数219・人口1,296(平野家文書)。当浦は,九頭竜川に架けられた船橋に使う御用船48艘のうち1艘を負担している(越藩拾遺録)。なお享和3年伊能忠敬が測量のため鮎川浦の新屋徳兵衛家に宿泊している。神社は加茂廼神社・大聖神社・大岳神社・守黎神社・男山神社,寺院は日蓮宗妙円寺・真宗高田派願生寺・真宗大谷派西養寺。明治4年福井県,以降足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」によれば,戸数239・人口1,287(男655・女632),田畑16町余。同22年国見村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7329106 |




