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大町村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。越前国足羽郡のうち。福井藩領。村高は,「正保郷帳」で田方483石余・畑方96石余の計580石余,「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに同高。「名蹟考」には枝村として向出が見える。さらに,同書には「一向宗西 興正寺派 正覚寺」ともあるが,これは如導を開祖とする中世の真宗古刹大町専修寺が天正3年廃寺となり,その後,江戸期になって了願が当村に小庵を建てて正覚寺と号し興正寺(現京都市)の末寺となった。明治維新に興正寺別派独立の際本願寺派となった(足羽郡誌)。なお「足羽県地理誌」には,正覚寺の開基は正徳元年と記す。現在,当町19字御坊の橋地籍に真宗三門徒派本山専照寺によって承応3年建立された如導の墓と大正15年建立の石碑がある。給人高付村別帳(福井市立郷土歴史博物館所蔵文書)によると,当村には福井藩士の代官付給人西尾七兵衛の知行350石のうち50石,富田弥六郎の知行150石のうち100石,前波彦三郎の知行150石のうち75石,榊原藤五郎の知行100石のうち50石の計275石の知行所が割当てられている。明治4年福井県,以降足羽県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」によれば,幅員は東西1町50間・南北1町3間,戸数38・人口189(男102・女87),田28町2反余・畑2町1反とあり,物産として布がある。明治9年の田地等級は5等,畑地等級は9等,宅地等級は5等(足羽郡誌)。同14年の戸数36,人口195うち男107・女88(県統計書/足羽郡誌)。明治7年の文部省年報には,当村に大町小学校が開設され,男子教員1名,生徒52名(男49・女3)で教育が行われたことを記す(敦賀県足羽郡公立小学校表/同前)。同22年六条村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7329916