上番村(近世)

江戸期~明治22年の村名。越前国坂井郡のうち。はじめ福井藩領,貞享3年幕府領。村高は,慶長6年結城秀康が多賀谷三経に宛てた知行宛行状(多賀谷文書/福井市史資料編)に2,363石余が記される。「正保郷帳」2,363石余うち田方1,733石余・畑方630石,「元禄郷帳」「天保郷帳」でも同高。「名蹟考」では枝村として根上り・新田・仏得寺が見える。十郷用水の東江・轟木江によって灌漑されていたが,「正保郷帳」では「水損所」と記され,洪水の損害を被ることも多かった。灌排水に関して中番村と争論が繰り返され,天和3年・享保9年・寛保2年・文化10年などに出入があった。嘉永3年に新田垣内の百姓が畦直しを要求し,村役人罷免に至る事件があり(北島家文書),割地の慣行があったことがわかる。仏徳寺垣内の竹田川岸には舟渡しがあり,周辺の村落が共同使用した。元禄8年中番村郷鑑(徳丸家文書)によれば,近辺20か村で渡舟を維持していたが,安永7年には34か村(藤井家文書),安政5年には40か村(下番区有文書)と増加している。この舟渡しは昭和期まで使用された。「足羽県地理誌」では,上番村と西上番村に分けて書かれ,上番村は戸数31・人口125うち男63・女62,馬10,田75町1反7畝・畑31町1反,物産は木綿1,500反・菜種40苞,西上番村は戸数117・人口534うち男269・女265,上番本村には神明神社と阿弥陀寺がある。同寺は,はじめ天台宗であったが,明暦元年真宗専修寺派に帰依し,延享2年に本願寺派に転派した。仏徳寺垣内には天満宮があり,竹田川に天神橋が架かる。新田垣内には春日神社がある。明治3年本保県,以降福井県,足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。同22年本荘村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7330628 |




