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熊堂村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。越前国坂井郡のうち。はじめ福井藩領,正保2年松岡藩領,享保6年以降再び福井藩領。村高は,慶長6年の山川菊松宛結城秀康知行宛行状289石余,「正保郷帳」289石余うち田方160石・畑方129石余,「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」「旧高旧領」も同高。安永2年の村鏡によれば,芝原領として,田畑14町3反余(田10町余・畑4町3反余),50石は給人渡し,年貢率は2ツ1分5厘,諸役銀として御鷹餌代銀10匁3分2厘・川除銀154匁8分・道銀13匁8分6厘・大谷山手銀4匁6分・川役銀76匁4分があり,家数23・人数140(男65・女75),牝馬10,冬から春にかけての稼ぎは莚・縄・俵・草鞋・馬沓・苧綛・木綿・蚕飼,用水は河合春近用水,神社は八幡宮と熊野権現,祭礼は8月5日。仏閣は一向宗玄性寺,頭百姓持高は甚右衛門28石余,才右衛門13石余,勘右衛門29石余。慶応2年8月の大水害では,村の中央を抜け,川原田へ行く橋の傍にあった玄性寺をはじめ,多くの家が流された。この後上垣内と下垣内に分かれ,玄性寺も現在地に移った。洪水常襲地で,水太鼓(早太鼓)で駆けつけた村々は古莚・土俵などを並べて洪水を防いだが,限度を超えると付近一帯はたびたび河原と化した。藩に年貢減免を陳情した田中矢平に,代官は「もう一枚の田もないことになったな」と言ったという話が残っているほどであった(丸岡町めぐり)。鎮守は応神天皇を祀る八幡神社で,往古,吉田郡上志比村石上にあったが神罰を被るものが絶えないので,恐れて九頭竜川に沈めたところ,流れ下って当村の地内堂という地に滞留,それを今の地に安置したと伝える(同前)。寺院は浄土真宗本願寺派玄性寺があるが,往古は天台宗で平泉寺(現勝山市)末坊正琳寺と号し,大野郡本郷村にあったが,正応3年本願寺末となり,天正2年吉田郡定重村に移転,寛永元年当地に移り,寺号を玄性寺と改める。「足羽県地理誌」では,戸数34・人口170(男87・女83),田10町余・畑9町5反余,物産は菜種10石,木綿20貫目,木綿糸8貫目,寺院は浄土真宗西本願寺派玄性寺,永禄3年開基,境内は212坪とある。明治4年福井県,以降足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。同22年磯部村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7330905