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田野村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。大野郡のうち。枝村は,「名蹟考」に西田野が見え,宝永3年の土打村用水出入裁許絵図(土打区有文書)にも西田野村と見える。はじめ福井藩領,寛永元年木本【このもと】藩領,同12年幕府領福井藩預り地,同14年福井藩領,正保2年松岡藩領,享保6年からは福井藩領。村高は,「正保郷帳」864石余うち田方788石余・畑方75石余,「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」「旧高旧領」いずれも864石余。安永4年の組下家数并男女人数増減帳(松原家文書)によれば,家数48(高持17・雑家31)・人数244と道場1軒が見え,別に「同村小方」として家数30(高持8・雑家22)・人数148が記されている。元治元年の人別改帳(同前)では家数31(高持12・雑家18・道場1)で人数146を記し,この村高は250石余とあるが,小方のものは見えない。また,文化14年村百姓家株定連判証文(林家文書)には「同村小組合」とあることから,当村は組分けが行われていたと思われる。用水は真名川から取水する五箇村用水と渇水時のみ使用する桐用水があった。塚原野には入会田が,荒島岳の山麓には入会山があった。大野城下へは真名川を渡る必要があり,隣村の井口村地内に橋があったが文政3年の出水で流失し,川瀬も狂い橋を架ける場所もなくなったので,井口村と共同で舟を仕立てることとした(林家文書)。神社は,春日神社・白山神社・神明神社。江戸初期に真宗大谷派最勝寺があったが,大野町に移転したという。明治4年福井県,以降足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属。「足羽県地理誌」によれば,戸数79・人口378,馬60・牛6,繭・菜種・綛・煙草を産した。明治14年上野小学校が郁文小学校と改称された際,当村と井口村のための冬期分教場が当村に置かれた(大野郡誌)。同22年富田村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7332480