長谷村(近世)

江戸期~明治22年の村名。越前国敦賀郡のうち。はじめ福井藩領,寛永元年小浜藩領,寛文8年からは安房勝山藩領。村高は,「正保郷帳」では田方294石余・畑方3石の計297石余,「元禄郷帳」「名蹟考」でも同じく297石余。元禄13年勝山藩領10か村で検地が行われ372石余となった。「天保郷帳」でも372石余,「旧高旧領」では375石余。元禄13年の反別田方36町6反余・畑方1町9反余の計38町6反余,除地9反余,免は3ツ9分4厘7毛,小物成は,新山手銀129匁余・牛馬銀16匁余・雉子札銀2匁・小鍛冶米3升余・渋柿代1斗余,諸役は夫役9分・馬足19匹・夫米3石余(敦賀郡誌)。寛永3年,西隣の野坂村との間で二又川の水利権をめぐって水論が発生し,輪番制がとられるようになった。その後承応3年にも水論が起こり,1日1夜ずつの番水との裁許が代官から出されたが,宝永6年と享保12年にこの番水について長谷村から異論が出され,結局享保12年「順番の儀ハ両村高割を以御定被成候」との裁許が下り,野坂村1日1夜,長谷村1日2夜の番水となった(長谷区有文書)。氏神は五社神社,祭神は天照皇大神・武雷神・仲哀天皇・応神天皇・神功皇后。境内社に稲荷神社がある。同社は正平23(応安元)年の勧請。寺院は長谷寺・宗福庵・養徳院・一峰庵・洞雲庵の5か寺があったが,一峰庵・洞雲庵は廃絶。曹洞宗長谷寺は,正保4年玄久により創建。曹洞宗宗福庵は,明和元年創立。曹洞宗養徳院(通称は養徳庵)は,宝暦7年の創立。明治4年加知山県,以降敦賀県,滋賀県を経て,同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」によれば,戸数50・人口243,物産は莚3,550束・菜種5石・縄525束。同22年粟野村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7332957 |




