八幡町(近世)

江戸期~明治7年の町名福井城下のうちはじめ京町組,のち本町組の1町足羽【あすわ】川右岸に沿う町で,北は山町,東は木町と接する慶長年間の御城下四ツ割図(松平文庫)に町名が見え,家数33を数える町域の西端に八幡神社が鎮座し,その門前町として形成されたことから町名が生じた同社は,文明年間朝倉氏が一乗谷に居館を造営した際宇佐八幡宮を勧請して創建したものと伝えられる慶長6年結城秀康が入国して北庄城を構築した時,同社を一乗谷からこの地へ移建して保護を加えたが,宝永5年の火災で焼失し,その後御舟町に社地を移されたが,当地の町名は残された正徳3年頃の御城下惣町間数帳には「八幡町 五拾四間半,木町ヨリ八幡元屋鋪迄,但道幅三間半」と記されるなお,八幡元屋鋪とは八幡神社の旧社地を指す明治7年町名改正時の戸数45同年照手上町の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7333465 |