柳町(近世)

江戸期~明治7年の町名福井城下のうちはじめ一乗町組,のち長者町組の1町中呉服町の東側にあたり,北は松屋町,南は紺屋町東は福井城西方外郭の柳御門に面するためこの町名が生じたとされる(稿本福井市史)慶長年間作成の御城下四ツ割図(松平文庫)では家数49万治2年の城下図(同前)まで,北側一帯は西御堂(西本願寺別院)の境内地となっている西御堂に柳町御坊の通称があったのはこのためである正徳3年頃の御城下惣町間数帳には「柳町 八拾四間往還ヨリ片原町迄,但上下二町分,但道幅五間」とある江戸初期,千日町にあって町名の起因となった千日坊(弁財天堂)が江戸中期当町に移転し,正徳3年の城下図(福井市立郷土歴史博物館所蔵)以降は,当町内に「弁財天」「千日坊」などと注してその寺地が記入されている弘法大師一刀三礼の弁財天像を安置すると伝え,多くの崇敬を集めた正徳年間の課役免除の人附には「御朱印所持之人附」の中に鍛冶大和跡喜太郎の名が見える鍛冶大和は美濃関派の刀工で,藩祖結城秀康に随従して越前へ移り数代にわたって作刀した大和大掾正則を指す明治7年町名改正時の戸数53同年大和中町の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7334588 |




