殿村(中世)

戦国期に見える村名。伊那郡のうち。大永4年2月吉日の磯並造宮料請取日記に「殿村之分」として正物7斗,かす籾7升などが記され,同じ頃と推定される年月日未詳の請取日記に「一,殿村三俵,代三百文」と見える(御造宮日記之写/信史10)。天正6年の上諏訪大宮造宮清書帳に「一,宮大工精進免之造宮銭次第……殿村分 合九百文 代官同人(壱岐守・土佐守)」,翌7年の同取帳には「一,磯并宝殿……同所(高見之内)殿村分 正物六拾五文 小使同人(与三郎)」とある(信叢2)。なお当地の南殿には有賀氏の居城有賀城跡があり,北殿には倉田氏代々の居城倉田城跡がある。倉田城は倉田筑後守が木曽義康と与地で戦い敗れたのち館を構えたところで,その子孫安光は藤沢頼親に仕え,天文7年7月19日韮崎合戦で討死したという。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7340475 |




