西条(中世)

平安末期から見える地名。高井郡中野郷のうち。室町期には村名,戦国期には郷名でも見える。嘉応2年2月7日の某下文に「下 中野郷公文定使所 定遣西条下司職事 侍 助弘」とあり,藤原助弘が中野郷内西条の下司職に補任されている。以後,「中野郷内西条」「中野西条」として,「市河文書」中に散見する。それによれば,当地ははじめ助弘系中野氏に伝領されたが,文永・弘安年間頃婚姻関係をきっかけとして市河氏の手に移り,やがて室町期には市河・須田・井上・高梨氏らの抗争の場となった(以上市河文書/信叢3)。その後,寛正4年地内の字高橋付近で,高梨氏は越後守護上杉氏の軍勢を破り,戦国期には高梨氏が当地を掌握したらしい。この間,応永7年6月には小笠原長秀が「高井郡中野西条村内〈除井上・須田知行分〉」などを市河興仙に安堵しており(同前),明応9年11月15日には高梨政盛が「小たけ分西条」などを中野氏一族とされる夜交景国に安堵している(世間瀬文書/信史16)。下って,天正6年の上諏訪大宮造宮清書帳に「中野之内,西条 東条」と見え,いまだ中野郷内とされているが(信叢2),翌天正7年2月8日の武田勝頼朱印状には郷名で記載されている(小野文書/信史14)。武田氏滅亡後の天正11年2月9日には須田信正が「井上領」内の地を伊勢皇大神宮に寄進しているが,そのうちに「西条にて弐貫文」と見える(広田文書/同前16)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7340834 |




