山部(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ横鳥村,昭和30年立科【たてしな】村,同33年からは立科町の大字。旧横鳥村の中心地として滝神集落に役場・農協・学校・駐在所などがあった。明治24年の戸数150,人口は男371・女413,学校1・水車場11。近代教育の先駆者である鉱物学者の五無斎保科百助の出身地で,彼が学び,また教師(授業生)を勤めた誠倫学校(現山部区協議所)は昭和60年復元保存された。明治44年に没した百助の菩提寺恵日山津金寺の縁日は春は4月18日(昼観音),秋は8月1日(夜観音)で江戸期から続いている。また同寺に隣接する村社諏訪神社に深い森があり,鳥居の額の「諏訪宮」は文化元年松平定信の書いたもの。米作と養蚕を主としてきたが,現在は養蚕に代ってモモ・リンゴ・煙草・薬用人参の栽培や豚・肉牛の飼育が行われている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7342045 |




