岩利村(近世)

江戸期~明治30年の村名。方県郡のうち。「正保郷帳」では岩科村とある。はじめ加納藩領。のち幕府領となり,宝永2年からは高富藩領となる。村高は「慶長郷牒」「元和領知改帳」「正保郷帳」ともに819石余,「天保郷帳」「旧高旧領」は837石余。明治4年の村明細帳の戸数77・人口369,馬10,神社は八幡宮・天神宮・稲荷宮・若宮八幡宮2社,寺院は禅宗の茲眼寺・長泉寺・安楽寺・成功院・仙桃院・薬師庵,浄土真宗正蓮寺がある。「町村略誌」の戸数83・人口416。天保9年高富藩江戸藩邸類焼の際,石谷【いしがい】・岩利村の地主が作徳米59石余を質物として,岐阜下竹屋町渡辺甚吉より金500両を借用して上納したという(県史)。当村は伊自良川最上流の船付場で,荷物問屋1軒・運船12~13艘・通運会社1があったが,明治29年の大水害以降船運はさびれた。明治4年岐阜県に所属。同30年稲葉郡方県村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7342828 |




