粥川村(近世)

江戸期~明治8年の村名美濃国郡上【ぐじよう】郡のうち長良【ながら】川の支流粥川【かいがわ】流域に位置する郡上藩領村高は「正保郷帳」183石余,「天保郷帳」260石余,「旧高旧領」237石余宝暦年間の「郡上郡村々高覚帳」では村高227石,戸数56(うち水呑4)安永2年の「郡上領地留記」に大豆・帳紙・荏・真綿・莚・箒・稗等が課役されている明治5年村明細帳の家数57・人口341,馬40匹鎮守は高賀信仰6社のうち1社と伝える星宮社,寺に粥川寺がある明治4年岐阜県に所属同7年高山小学校の仮校舎を建設同校は明治42年山田村の小学校と合併明治8年高砂村の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7343425 |