福富村(近世)

江戸期~明治22年の村名。美濃国山県郡のうち。はじめ加納藩領,のち幕府領。「慶長郷牒」「元和領知改帳」「正保郷帳」ともに村高1,278石余,「天保郷帳」「旧高旧領」は1,319石余。文化12年の村明細帳によると戸数178・人口710,馬34。農事のほかに男は芝草刈,縄・筵編み,女は木綿づくりを少々行う。明治2年の村明細帳によると戸数174・人口728,馬12,溜池1であり,用水の6割が山県井水に,残り4割が天水にたよっていた。「町村略誌」によると戸数155・人口825,馬58,社5・寺2。物産は穀類のほか実綿・葉煙草・菜種・松茸・西瓜・柿・五茸・竹皮などがある。村社は字北山に天満神社,字下山に白山神社があり,天満神社の棟札に「再建延宝参十弐卯十壱月」とある。寺院は浄土宗西山派大沢山浄土寺,臨済宗妙心寺派少林寺。明治4年岐阜県に所属。同22年厳美【いづみ】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7346439 |




