安倍郡

天平10年の「駿河国正税帳」に「安倍郡天平九年定穀伍万玖阡陸佰肆拾伍斛参斗弐升振入五千四百廿二斛三斗 斛別入一斗」とみえる(正倉院文書)。当郡内には「安倍郡散事」として国府の政務に携わった日下部若槌・丈部牛麻呂・同多麻呂・半布臣足嶋・同石麻呂など10人の名がみえており,郡司級の氏族が成長しつつあったようである(同前)。「和名抄」によれば,川辺【かわのべ】・埴生【はぶ】・広伴【ひろとも】・葛間【かつらま】・美和【みわ】・川津【かわつ】・八社【やけし】・横太【よこた】の8郷があった。また駿河国府について「国府在阿部郡,行程上十八日,下九日」とみえ(同前),安倍郡にあったことが知られる。所在位置について,かつては静岡市長谷通りとされ(旧版静岡市史1),その後,静岡高校付近説(国府)が出されたが,現在では駿府城を含む地域と考えられるようになっている(静岡市史原始古代中世)。安倍郡の正倉も駿府城址西北の高地にあったと推定され,銅製の「安倍郡印」が,かつて市内麻機東字石神から出土したが,現在は行方不明となっている(静岡県史2)。古代律令軍団制の中で「安倍団」とよばれるものがあり,天平10年の「駿河国正税帳」に「防人部領安倍団少毅従八位上有度部黒背」とあり,有度姓を名乗る黒背により,駿河一国の防人が率いられて従軍したことがわかる(正倉院文書)。また宝亀元年12月の木簡に「駿河国安倍郡貢上甘子」とあり,安倍郡から柑子蜜柑が貢上されていたことが知られる(平城宮出土木簡2)。その他に阿部市が「万葉集」に詠まれており,春日蔵首老の「焼津辺にわが行きしかば駿河なる阿部の市道に逢ひし児らはも」(284)とみえる。阿部市は私設市と思われ,8世紀以来にぎわったようである。その市の守護神として祀られたのが大歳御祖【おおとしみおや】神社である。いま静岡市青葉通りに歌碑がある。駅家は横田にあり,駅馬10匹,伝馬は安倍郡に5匹と定められていた(延喜式)。安倍郡七座としては足坏【あしつき】神社・神部神社・建穂【たけほ】神社・中津神社・小梳【おぐし】神社・白沢神社・大歳御祖神社の7社があった(同前)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7347601 |