小黒村(中世)

戦国期に見える村名。駿河国安倍郡のうち。大永4年9月20日の今川氏親判物に,「駿河国興津藤兵衛尉当知行分,安部郡之内河辺郷〈地頭方〉并小黒之内田地,狐崎之内田地」とあるのが初見で,今川氏の家臣興津【おきつ】氏が当地に所領を有している(興津文書/県史料2)。天文3年7月13日の今川氏輝判物でも当地が興津藤兵衛尉(正信)に安堵されているが,この史料には「河辺枝郷小黒」と見える(興津文書/県史料2)。今川氏没落後の永禄12年4月15日付武田信玄判物では,「一,百俵〈花蔵領〉おくろ」とあり,武田氏から今川氏旧臣孕石元泰に当地が充行われている(孕石文書/大日料10‐2)。花蔵領とは,今川氏輝の死後今川義元と家督を争った花蔵遍照光院の玄広恵探の旧領であろうか。元亀2年3月4日の武田信玄判物でも,小黒村のうち81俵が孕石主水佐に与えられ,信玄の死後は,天正5年閏7月12日の武田勝頼判物により,同地が孕石和泉守に安堵されている(残篇)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7348772 |