友田(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ河城村,昭和30年からは菊川町の大字。明治24年の戸数50・人口291,厩1。同31年埼玉県競進社支部養蚕伝習所が設けられ養蚕業が盛んになったが,のち茶業におされて衰退。大正2年の主要農産物は米・麦・茶・繭などであった。大正9年の戸数47・人口243。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7351541 |
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明治22年~現在の大字名。はじめ河城村,昭和30年からは菊川町の大字。明治24年の戸数50・人口291,厩1。同31年埼玉県競進社支部養蚕伝習所が設けられ養蚕業が盛んになったが,のち茶業におされて衰退。大正2年の主要農産物は米・麦・茶・繭などであった。大正9年の戸数47・人口243。

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