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豊田郡


「和名抄」の国部の郡名には豊田郡が見えるが,郡部にはその記載がない。嘉応3年2月の遠江国池田荘立券状では,池田荘は「在管豊田郡内」とあるが(松尾神社文書/平遺3569),同じ頃のものと推定される官宣旨案に池田荘の管郡として磐田【いわた】郡が見える(民経記裏文書/平遺補357)。当郡は平安期に磐田郡が改称され成立したものである。その時期は,「和名抄」の記載や応和元年6月5日の妙香院荘園目録にある「遠江国豊田栗栖〈右豊田郡〉」などを参考にすると,10世紀初頭頃に推定される。当郡の郡域はほぼ磐田郡の郡域を引き継いだと考えられるが,不明。ただし,南部は池田荘立券状で明らかになる。池田荘は南は海に面し,西は長田(長下)・長上両郡に接し,東は天竜川(現祝川)に接している。従って,郡界は,南は海に接し,西は隣接する川勾荘(長下郡)・蒲御厨(長上郡)との関係から見て,明治22年の郡界とほぼ一致し,現在の竜洋町大字岡・平間・高木さらに浜松市の鶴見町(旧小池村)・材木町・安間町を結ぶ線となる。一方,東の天竜川は下流付近では山名郡と郡界になっていたとも考えられる。従って,「県史3」などの比定からすると,当郡の元となった磐田郡の飯宝郷(現磐田市大字上大之郷付近)・神戸郷(現磐田市大字鎌田付近)は郡外となり,長下郡長野郷(旧長野村,現磐田市南部)・長上郡碧海郷(現浜松市中里町付近)の地域は池田荘の立荘の段階で拡大され,豊田郡内に入ったとも考えられる。「和名抄」には当郡の註記に「国府」とあり,遠江国衙が所在した。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7351549