100辞書・辞典一括検索

JLogos

13

西同笠村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。遠江【とおとうみ】国山名郡のうち。「寛文朱印留」では同笠村と見える。横須賀藩領。浅羽33か村の1村(風土記伝)。村高は,「元禄高帳」141石余,「天保郷帳」265石余,「旧高旧領」264石余。戸数47(遠淡海地志)。神社には産土神の寄木大明神,寺院は曹洞宗伯泉(仙)寺(庵)がある。延享3年の家数29・人数189,馬4。年貢率は田4割7分・畑4割5分(浅羽風土記)。元禄年間以降,新田開発が進んだものと思われる。助郷は天保2年から同12年まで東海道見附宿の代助郷として出役し勤高82石(磐田市誌編纂室収集文書)。嘉永4年当時は,東海道袋井宿定助郷の代差村72か村の1村(袋井市史資料2)。海辺の村で魚介類に恵まれ半農半漁。東西に流れる前川は横須賀の舟路で,西は小島方に至る(郷里雑記・浅羽風土記)。太田川の洪水・津波による潮害をしばしば受け,延宝8年・元禄12年に大潮害をうける。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。同3年藩庁製塩局の事業として塩造りが行われ,東は中新田の浜から西は太田川を境として大島地先まで漁塩所となった(浅羽風土記)。明治22年幸浦村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7352032