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原(中世)


 室町期から見える地名。佐野郡のうち。「和名抄」の幡羅郷の地といわれ,中世には原田郷あるいは原田荘とも呼ばれた(掛川誌稿)。室町期のものと推定される年月日未詳の熊野旦那場配分注文写(米良文書/熊野那智3)が初見で,当地の旦那職が駿河国嶋田僧都から佐渡孫左衛門に付されている。戦国期の明応7年11月13日付今川氏親判物(残篇)に「於原要害依抽忠節」とある。孕石某が原の要害で戦功がぬきんでたので,恩賞を給付したものであるが,孕石氏は当地を本貫とする原氏の一族であることを考えると,孕石氏が拠った「原要害」も当地のうちに存在したものと思われる。また,尊海僧正の「あつまの道の記」天文2年10月条に「是より不尽【ふじ】見むとて立出ける道に,原といへる所に,庵主に手ならふ人の里あれば」とある。天正2年8月3日の臨済寺末寺書立(臨済寺文書/県史料3)によると,当地内には駿河国臨済寺の末寺壺仙庵があったことがわかるが,先の「庵主」とこの壺仙庵との関係は未詳。天正17年7月7日の徳川家康七ケ条定書(岸文書/県史料4)の宛所に「原桑地百姓等」とあるが,これは原のうちの桑地という意味であろう。ところで,人名としての原氏は鎌倉期より見える。原氏は伊豆国工藤氏の一族といわれ,戦国期まで当地を領有した(掛川誌稿・姓氏家系大辞典)。比定地については「掛川誌稿」などによると,旧原谷村・原田村・原泉村にあたるといわれ,現在の掛川市大字細谷・本郷・幡鎌・原里・寺島・上西之谷・中西之谷・大和田・孕石【はらみいし】・萩間・黒俣などを含む広い地域を指すことになる。なお,南北朝期のものと思われる久我家領目録(久我家文書/和歌山市史4)に「遠江国……原御牧」とあるが,この牧と当地との関係は未詳。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7352366