葉栗郷(古代)

平安期に見える郷名「和名抄」尾張国葉栗郡五郷の1つ郡名と同じことからみて,葉栗郡の郡家がおかれたと思われる鎌倉後期の「塵袋」には,葉栗郡にある光明寺が天武天皇6年に葉栗臣人麻呂によって建立されたとある葉栗臣は当郷を本貫とする氏族と考えられ,「古事記」孝昭天皇段は,羽栗臣を他の15氏とともに同天皇の皇子天押帯日子命を祖とするという伝承をのせている郷域について,「地名辞書」は現在の岐阜県羽島郡の北部にあて,「地理志料」は先の地域に加えて羽島郡柳津町および笠松町までも含めて郷域をとらえるまた,「一宮市史」本文編上は,7世紀代の群集墳が存在する現在の一宮市浅井町尾関の地を当郷にあて,尾関の地から白鳳期のものとされる複弁蓮華文の軒丸瓦が出土していることをあげ,葉栗臣人麻呂の建立した光明寺の瓦ではなかったかとする

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7360181 |




