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坂松原村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。紀伊国牟婁【むろ】郡のうち。はじめ紀州藩領(元和5年からは新宮城主水野氏領),慶応4年からほとんどが新宮藩領。相野谷組に所属。元和年間,坂本村と区別するため坂本原村を改称。村高は,「慶長高目録」237石余,「天保郷帳」267石余,「旧高旧領」267石余。(うち紀州藩領30石余)。寛文年間の家数35(熊野見聞記)。慶長19年大坂の陣の大坂方の挙兵に呼応して蜂起した熊野北山一揆の時,清衛門が一揆の大将として働き,処刑されている(熊野一揆成敗申付覚書)。滝源山泉昌寺は,臨済宗由良興国寺の末寺で,寛永2年頃の開山。ほかに小祠1(紀伊続風土記)。安政2年の知行替騒動で一部が交換予定地となったが,領民の反対が強く,実現しなかった。寛政年間から医師奥田政市が寺子屋を開設,明治初年まで続いたと伝えられる(南牟婁郡誌)。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同12年南牟婁郡に属す。明治7年平尾井学校が設立され,その通学区に入る。同15年地内に松栄学校を設立したが,のち平尾井学校の分校となった。同22年相野谷村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7365004