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下鵜川原村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。伊勢国三重郡のうち。下村とも略称する。はじめ桑名藩領,文政6年忍【おし】藩領,天保13年幕府領,安政元年からは再び忍藩領。村高は,「慶安元年郷帳」「元禄郷帳」ともに1,025石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに1,041石余。「勢陽五鈴遺響」には「上鵜川原ノ東ニアリ,田間ニ民居ス,下村ト略称ス」とある。助郷は東海道桑名宿に出役。須摩山に入会地を持ち,元禄14年には当村および上鵜川原・池底・川北・上海老原・下海老原・赤水各村と千草村との間に,また正徳3年には当村および上鵜川原・池底・川北・上海老原・下海老原・赤水・千草各村と北野村との間に山論が発生(郷土資料館資料)。文政10年当村に生まれた水車大工位田藤治は尾張・松坂まで仕事を持った。寺は臨済宗妙心寺派禅林寺,真宗大谷派銀重山盛願寺・西念寺・光明山大円寺がある。禅林寺は天智天皇5年藤原鎌足の創建と伝えられ,はじめ天台宗大強原山盧遮那寺と号したが応仁の乱で焼失。文亀3年千種城主千種治庸が堂を現在地に再建し,永正年間寺号および宗派を改めた。千種氏は境内4町および寺領50石を寄付したが,弘治2年千種氏の断絶に伴い寺領は失われた。盛願寺は員弁【いなべ】郡治田村より当地に移住した加藤主計が文明5年蓮如上人の教化をうけ創建。西念寺は盛願寺の分寺で,盛願寺住職浄円の弟明西が天台宗の古寺跡に創建,延宝5年本尊阿弥陀如来が下付され浄土真宗に改めた。大円寺は天文年間千種城主に仕官した萩助右衛門が誕如上人に帰依して道場を開設,享保19年森藤右衛門が本堂を再建。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同22年鵜川原村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7365229