殿田村(近世)

江戸期~明治22年の村名。丹波国船井郡のうち。元和5年から園部藩領。村高は「元禄郷帳」251石余,「天保郷帳」300石余,「旧高旧領」286石余。当村は,慶長11年角倉了以による大堰川開発以来,船筏の中継地として商家が町屋を成し,宝永4年の戸数77,寛政元年の戸数94・人口402に及んだ(殿田村小史)。「丹波誌」に見える山口関助は,当村出身で6尺3寸の巨漢で力自慢の主であったという。社寺に日吉神社・真言宗中本寺末成就院がある。日吉神社は延徳元年近江国坂本の日吉大社より分霊を勧請,はじめ山王権現と称したが,明治6年改称。同社は日吉【ひよし】町の町名の由来ともなった。成就院は俗に日の寺といい,延元3年宥海の再興という。成就院のほかに持明院・不動院・吉祥院・宝住院・中ノ坊・宝光坊・宝憧坊・寂静坊・北ノ坊の9か寺があり,現在成就院所属の畑地にその遺構がある。旭山中腹には丹波猿楽の祖流梅若の屋敷があったが,明治維新後,その後裔は東京へ移住。明治4年園部県を経て京都府に所属。戸数は同5年110戸,同21年115戸(市町村合併史)。同22年世木【せき】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7378270 |