東魚屋町(近世〜近代)

江戸期~現在の町名椹木町通小川東入西入の町東山崎町とも称した(宝暦町鑑・天明6年洛中洛外大図)町名の由来は古くから椹木町通東堀川から西洞院に至る間に魚市場が開けたことによる元和年間には初めて京都で魚問屋の称号が許され,椹木町通西洞院以西小川以東の魚市場上ノ店市場と称し,錦ノ店,魚棚通の六条ノ店とともに三店魚問屋の1つとされた享保年間に三店魚問屋の株仲間が設定され,上ノ店では25軒中12軒が占めるそこではそれぞれ一定の仲買人のみ当市場に出入を許され,仲買人以外とは一切取引をしなかった(万亀楼文書)しかし,幕末頃には大津魚仲買人が京都の町方へ魚の直売をするようになり,またそれまで三店魚問屋より一段格が低く魚販売を許されなかった塩肴問屋の西納屋市場の侵食により,株仲間としての特権的地位は次第に失われた特に明治元年「不寄何事新規之儀申出,仲ケ間一統致仏乱儀決而仕間敷候」として株仲間体制の崩壊が決定的となり,錦ノ店にくらべ上ノ店・六条ノ店の魚問屋としての地位は失墜した(京都市社会課編市場の沿革・京都社会史研究)西洞院通より堀川までの椹木町通を特に上魚棚通ともいった「京羽津根」には上ノ店魚問屋として椹木町小川東の酢屋又兵衛・同石橋屋久三郎,椹木町小川西の大黒屋又兵衛の3名を挙げている江戸期は下川東組,明治2年の町組改正から上京【かみぎよう】18番組,同5年第20区と改称,同25年第16学区に編成明治12年上京区東魚屋町,同22年京都市上京区東魚屋町となり現在に至る大正14年の世帯数38・人口239

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7379258 |




