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久米田(古代〜中世)


奈良期~戦国期に見える地名和泉国南郡のうち久米多・粂田とも書く天平十三年記によれば,行基造営の池15か所の1つである「久米多池」が「泉南郡丹比郡里」にあるという(行基年譜/続々群3)この久米田は,久米田丘陵およびその北西に広がる久米田池灌漑地域一帯を指す地域名で,「久米田寺」(久米田寺文書),「久米多社」(和泉国神名帳)なども見られる地名の由来は,八木郷の八木から米,さらに粂と変化したものとも,籠田・込田としての久米田池自身を指すものともいわれる平安期頃の成立と思われる天平勝宝元年11月13日付の久米田寺領流記坪付帳に,惣合寺領田として「上久米多里」「下久米多里」が見える(久米田寺文書/大日古編年3)地名としては,鎌倉期弘安5年10月以降のものと推定される隆池院鐘縁起に,「和泉国南郡久米多辺鄙」「泉州久米多」などと見えている(久米田寺文書/岸和田市史6)下って,文明14年8月2日には,畠山衛門助征伐のため畠山佐衛門督が「泉州久米多」に陣を張っている(粉河寺旧記/八尾市史史料編)永禄5年3月5日,三好勢と畠山・根来連合軍との合戦で,三好実休が当地に陣を張り,討死にしている(細川両家記/和歌山市史4)現在の岸和田市八木あたり一帯に比定される




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7382889