佐土村(近世)

江戸期~明治22年の村名。印南郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年からは姫路藩領。大塩組に属す。村高は,「正保郷帳」1,107石余うち田1,034石余・畑73石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,204石余。元禄年間までに成立した佐土新村の地は当村のものといわれるが,当村から佐土新村への入植は禁じられた。米作中心で,灌漑は高木村で市川から分水する用水路花田井に依存している。鎮守は白髭大明神(白髭神社)。もと増位山随願寺の鎮守であったが,天正元年三木の別所長治に攻められ,衆徒がここに退いた時,神社も増位山から移したという。真宗大谷派福乗寺は播磨国真宗三道場の1つとして知られる天川道場で,慶長14年藩主池田輝政が領内のすべての真宗寺院に西本願寺派への改宗を命じた一向宗騒動では,東派(大谷派)の中心として活躍した。元和9年福乗寺と号する。浄土宗梨原寺は文応2年の開基で,毎年7月6日塩那踊を行う(播磨名所巡覧図会)。明治12年の田69町余・畑17町余,同14年の戸数145・人口714(播磨国地種便覧)。同22年別所村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7391449 |