野里(近代)

①明治22年~現在の大字名。はじめ水上村,昭和8年からは姫路市の大字。明治24年の戸数135,人口は男383・女368,昭和2年の戸数388,人口は男833・女757(飾磨郡誌)。同35年の世帯数962・人口3,879。明治27年播但鉄道が中央を南北に開通。同34年城東小学校野里分教場を野里尋常小学校として開設,同36年坊主町に移転。明治42年北端に北中皮革合名会社創立,昭和6年10月より翌年1月24日まで,就業規則改正に反対して労働争議が起こった。第2次大戦時中川西航空機姫路製作所の従業員のための川西住宅が建設され,現在は月丘町と称する。昭和20年の姫路空襲で焼夷弾により大日集落の東部と通称上野町で1軒が被災。昭和30年代より東部を縦貫する道路姫路豊岡線の工事が進められ,同45年国道312号となる。同48年南端は睦町となる。同59年播但線が高架となり,地域の東西交通が便利になった。②明治22年~大正元年の姫路市の大字名。大正元年梅ケ枝町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7394800 |




