船津村(近世)

江戸期の村名。神東郡のうち。姫路藩領。当村の八幡宮(正八幡神社)は,天正19年の神事相極次第写(正八幡神社文書)によると,社領1町9反余,山林56町2反余を有し,氏子は船津郷6か村と的部北条6か村で,この地域の総氏神であった。また,同書には神子渡・練り相撲・流鏑馬などの神事が記録されている。同社には享徳2年~寛文2年の9枚の棟札が現存し,寛永22年の本殿上葺棟札に「蔭山庄船津村」と見え,神主2名と宮脇村・三又村・三(御)立村・下垣内村が記される(県神社誌)。なお,寛文2年の同棟札では「船津庄」とされ(同前),天明年間の「村翁夜話集」に船津郷を中野・下垣内・上野・御立・三又・宮脇・八幡新の7か村としている。江戸初期にはこれらの地域の総称ともなっていたと思われ,正保年間までに当村名は消滅,八幡宮は宮脇村のうちとなっている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7395995 |