山直郷(古代)

平安期に見える郷名「和名抄」葛下【かつげ】郡七郷の1つ高山寺本・東急本ともに訓を欠くただし和泉国和泉郡と近江国甲賀郡にも「山直郷」があり,「夜末太倍」「也末多倍」「也末奈保」などと訓まれている(和名抄)地名の由来については,山君の居住地,ヤマノアタヘの約,ヤマ(山)・タ(処の転)・ヘ(辺)などの説がある(古代地名語源辞典)山直郷の郷名は「和名抄」以外には見えないが,明和年間に発掘された威奈真人大村墓誌銘(四天王寺所蔵/寧遺下)に見える「慶雲四年……十一月乙未朔廿一日乙卯,帰葬於大倭国葛木下郡山君里狛井山岡」の「山君里」と同じという一説に大坂山を管理する山部君が居住したことにより山部君里と呼ばれ,地名の2字化によって山君里と表記されたが,のちに山部氏が直の姓を賜ったので郷名も山直に改めたとされる(大和志料下)この墓誌銘の発掘地は現香芝市穴虫の中央部に位置する丘陵で,ここを含む地域に山直郷が比定できる中世には大坂と呼んだ

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7402826 |




